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【サッカー・W杯】AGLET『WORLD CUP 2022 MOMENTS』’MIRACLE OF BERN’【Vol.10】1954年スイス大会

やめたい雑記
筆者
筆者

皆さんこんにちは。コサキです。

2022年カタール大会の優勝国アルゼンチンの凱旋優勝パレードでは、人が集まりすぎて選手たちの乗ったバスが動かなくなる騒ぎに。

選手たちは結局ヘリで救助wwされたそうです。

2022年カタール大会の開催を記念したAGLETの『WORLD CUP 2022 MOMENTS』コレクションのドロップ。大会や選手などにインスパイアされたスパイクが登場しました。

これらのスパイクに付けられた名前の由来や、元ネタとなった歴史的な出来事・背景などを紹介しながら、「スポーツの歴史の中で印象的な瞬間」を振り返っています。

第10回は『LACELESS CLEAT ‘MIRACLE OF BERN’』です。


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【AGLET】LACELESS CLEAT ‘MIRACLE OF BERN’

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MIRACLE OF BERN(ベルンの奇跡)」とドイツの国名・開催年の「GER 1954」

スパイクの名前「MIRACLE OF BERN」は、直訳すると「ベルンの奇跡」

開催大会1954年 スイス大会
主要人物西ドイツ代表(現在のドイツ代表)
ハンガリー代表
いつ起きた?1954年7月4日
決勝:西ドイツ 対 ハンガリー
何が起きた?西ドイツ代表がW杯初優勝を果たした。
スパイクの名前の由来大会当時、圧倒的と考えられていたハンガリー代表に金星を挙げた西ドイツ代表を記念して。
筆者
筆者

スポーツの中でも、特にサッカーは「〜の奇跡」とか「〜の悲劇」「〜の歓喜」とか試合に付けがちですよね。

西ドイツのW杯初優勝が「ベルンの奇跡」と呼ばれるようになった理由は、決勝で当時最強だったハンガリーを破ったことにあります。

ハンガリーは1950年6月から1954年スイス大会の決勝まで「無敗」を続けており、力関係では圧倒的にハンガリーが優勢でした。

そんな “無敵” のハンガリーを破った西ドイツの大躍進について解説していきます。

【W杯】1954年スイス大会について

第二次世界大戦の影響により、1942年・1946年と二度の開催が中止された後、1950年のブラジル大会より再開され、1954年スイス大会は戦後2回目の開催となりました。

スイス大会での出来事
  • FIFA創立から50周年目(1954年)となることから、FIFA本部のあるスイス開催に。
  • W杯が初めてテレビ中継された。
  • FIFAを除名されていたドイツサッカー協会(当時の西ドイツ)、日本サッカー協会が再加盟を認められ、W杯への出場が認められた。
  • W杯で無敗だったウルグアイが初めての敗北を喫する。

W杯無敗のウルグアイが初めての敗戦

今回が3度目のW杯出場となるウルグアイは、過去に出場した大会(1930年、1950年)ではいずれも優勝を果たしていました。

筆者
筆者

優勝確率100%はもちろんすごいけど、自国開催の1930年大会は全勝優勝、前回1950年ブラジル大会でも3勝1引分けの無敗優勝でした。

今大会でもグループリーグ2戦、準々決勝を危なげなく勝ち進みますが、準決勝でハンガリーと対戦し、2-4で敗戦。W杯での初黒星となりました。ウルグアイにとって、W杯12戦目での出来事でした。

その後の3位決定戦でもオーストリアに負けてしまい、4位で大会を終えています。

【W杯1954年スイス大会】西ドイツの躍進

決勝戦が行われたのは、スイスの首都ベルンにあるバンクドルフ・スタジアム(2001年に老朽化で閉場)。西ドイツの劇的なW杯初優勝を記念して「ベルンの奇跡」と呼ばれるようになりました。

西ドイツ代表の背景

W杯が再開された1950年ブラジル大会当時、ドイツサッカー協会はFIFAを除名になっていたので、参加できませんでした。

その後FIFAへの再参加が可能になったのは、1954年スイス大会からでした。

映画化もされました

第二次世界大戦や、アメリカとソ連による冷戦によってドイツが東西に分割されたことなどの歴史的背景から、当時の西ドイツのW杯優勝は、多くの人に勇気や感動を与えるものになりました。

2003年には、『ベルンの奇蹟』というタイトルで映画化もされていますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。

大会当時「世界最強」だったハンガリー代表

当時のハンガリー代表は、フォーメーションの形から「マジック・マジャール」という愛称で呼ばれ、圧倒的な強さを誇っていました。

スイス大会でもその強さを惜しみなく発揮していて、一人の選手が複数得点なんて当たり前。
勝利が濃厚という場面でも決して攻撃の手を緩めることはせず、大差をつけて勝利するスタイルでした。

優勝した西ドイツとはグループリーグで対戦していますが、8-3というとんでもない強さで勝利しています。容赦ないです。

筆者
筆者

ハンガリーが世界最強?って疑問に思われた方も多いでしょう。

少し信じ難いですが、当時のハンガリー代表は世界最強、まさに “無敵” 状態だったんです。

大会当時のハンガリー代表の強さをまとめました。

1950年代のハンガリー最強伝説
  • 4年間無敗(1950年5月14日~1954年6月30日まで:28勝4分)
  • 1952年のヘルシンキオリンピックでは、18得点1失点で優勝。
  • ホームではアイルランド以外に負けたことがないイングランド代表を相手に6-3で快勝。
  • W杯無敗のウルグアイと準決勝で対戦。4ー2 で下す。
  • スイス大会では5試合で27得点(1試合当たり平均5.4得点!)

スイス大会では西ドイツに敗れて準優勝となったハンガリー代表ですが、その後も2年間で21勝5分2敗(勝率75%)という信じられない強さで勝ちまくります。

しかし、1956年にハンガリー動乱が起きて国内情勢が不安定になると、代表チームのエースだったフェレンツ・プスカシュや、スイス大会で得点王を獲得したシャーンドル・コチシュなど主要選手が相次いで国外に亡命。無敵のチームは解体してしまったのでした。

決勝『西ドイツ 対 ハンガリー』

決勝は7月4日にスイスの首都ベルンにあるヴァンクドルフ・スタジアムにて行われました。

開始6分にハンガリーのプスカシュ、8分にはチボル・ゾルターンが立て続けにゴール。ハンガリーが先制し、優位な展開かと思われましたが、10分に西ドイツのマックス・モーロック、18分にヘルムート・ラーンが連続で得点を奪って試合が振り出しに戻されます。

その後は2-2のスコアのまま後半戦も進みますが、84分にラーンが2点目を挙げ西ドイツが逆転。

ハンガリーも試合終了間際にプスカシュがゴールしますが、オフサイドの判定でついに力尽きます。

こうして西ドイツがW杯初優勝を成し遂げたのでした。

【W杯1954年】得点王

得点王は、ハンガリー代表のFWシャーンドル・コチシュで、11得点を挙げています。

筆者
筆者

やっぱり昔のW杯の方が得点が多くないかな?と思い、また得点数などをまとめてみました。

1930年
ウルグアイ大会
1954年
スイス大会
2018年
ロシア大会
2022年
カタール大会
グループリーグ13カ国ー全15試合
総得点数:50
平均得点数:3.3
16カ国ー全18試合
(プレーオフ込み)
総得点数:84
平均得点数:4.7
32カ国ー全48試合
総得点数:122
平均得点数:2.5
32カ国ー全48試合
総得点数:120
平均得点数:2.5
決勝ラウンド16なしなし16カ国ー全8試合
総得点数:24
平均得点数:3
16カ国ー全8試合
総得点数:28
平均得点数:3.5
準々決勝なし全4試合
総得点数:26
平均得点数:6.5
全4試合
総得点数:11
平均得点数:2.75
全4試合
総得点数:10
平均得点数:2.5
準決勝総得点数:14
平均得点数:
総得点数:13
平均得点数:6.5
総得点数:4
平均得点数:
総得点数:5
平均得点数:2.5
決勝ウルグアイ 対 アルゼンチン(4-2)
総得点数:
西ドイツ 対 ハンガリー(3-2)
総得点数:
フランス 対 クロアチア(4-2)
総得点数:
アルゼンチン 対 フランス
(3-3)
総得点数:
合計全18試合
総得点数:70
平均得点数:3.9
全25試合
総得点数:128
平均得点数:5.12
全63試合
総得点数:167
平均得点数:2.65
全63試合
総得点数:169
平均得点数:2.68
Googleさんが教えてくれた当時のデータから、筆者が算出しました。

スイス大会は全25試合で128得点、1試合の平均得点は5.12という結果になりました。

やっぱり昔のほうが得点が多かったんですね。

最後に

いかがでしたか。
第二次世界大戦の後の除名処分を経て、さらに優勝候補の “無敵軍団” ハンガリーを破って、見事に初優勝を果たした西ドイツ。1954年の「ベルンの奇跡」についてご紹介しました。

次回は『LACELESS CLEAT ‘SHOOTOUT‘』、ドイツで開催された2006年大会についてです。

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