こんにちは。コサキです。
ブラジル代表の記事を書いていたら、ブラジルが負けてしまいました………。
2022年カタール大会は、ベスト8という成績でした。
2022年W杯カタール大会の開催を記念したAGLETの『WORLD CUP 2022 MOMENTS』コレクションのドロップ。大会や選手などにインスパイアされたスパイクが登場しています。
これらスパイクに付けられた名前の由来や、元ネタとなった歴史的な出来事や背景などを紹介しながら、「スポーツの歴史の中で印象的な瞬間」を振り返っていきたいと思います。
第3回は『LACELESS CLEAT ’ALBERTO’』の紹介です。
サッカーもW杯も全く知らない人でも、少し興味が出てくるかも!?
ぜひご覧ください。
【AGLET】LACELESS CLEAT ‘ALBERTO’
TIER | 3 |
EARN RATE | 42 |
MAX BOOST RATE | 672 |
DURABLITY | 37 |
REPAIRS REMAINING | 0 |
【W杯】ブラジルが3度目の優勝を果たした1970年メキシコ大会
開催大会 | 1970年 メキシコ大会 |
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優勝国 | ブラジル(3度目) |
主要人物 | ブラジル代表 ・カルロス・アウベルト(背番号:4) (1944/07/17〜2016/10/25:享年72歳) ・ペレ(背番号:10) (1940/10/23〜) ・ジャイルジーニョ(背番号:7) (1944/12/25〜) |
何が起きた? | ・ブラジルが史上初のW杯3度目の優勝を果たす。 ・優勝トロフィー『ジュール・リメ・カップ』がブラジルに永久譲渡された。 |
スパイクの名前の由来 | ブラジル代表のキャプテンを務めた人物 『カルロス・アウベルト』 |
まず取り上げるべきは、ブラジルが今大会で3度目の優勝を果たしたことです。(史上初!!)
【W杯】「イエローカード/レッドカード」が初めて導入された大会
前回の1966年イングランド大会は、1958年W杯スウェーデン大会・1962年W杯チリ大会を連覇して臨むブラジル代表にとって、3連覇がかかった非常に重要な大会でした。
しかし、ブラジルのエース選手だったペレやガリンシャに対して執拗なファウルが繰り返し行われ、選手たちが本来のパフォーマンスを発揮できずにグループリーグで敗退してしまいます。
危険なラフプレーが続出したことを問題視したFIFAは、これを機に「イエローカード/レッドカード」を制度化し、今大会から導入されることになりました。
問題続出の1966年イングランド大会については前回記事で取り上げていますので、ぜひご覧ください。
【W杯】サッカー国際ルールの変更
「イエロー/レッドカード」制度の導入により、サッカーの国際試合におけるルールが大きく変わった今大会ですが、その他にも変更となった点があります。
その一つに「選手の交代枠」が挙げられます。
1953年に公式戦で初めて「選手交代制」が導入されましたが、当時は「交代は負傷した場合のみ」「最大2名まで(GKはいつでも、フィールドプレーヤーは前半のみ可能)」という条件が付いていました。
その後「選手交代制」についてのルールは以下のように変更されていきました。
- 1958年:「負傷時の選手交代はポジション・時間帯に関係なく最大2名まで」
- 1968年:「負傷等の理由が無くても、公式戦では最大2名まで選手交代が可能」
1970年に開催の今大会は、「選手交代が2名まで可能」というルールに変更して初めてのW杯となりました。
「選手交代枠」についてはその後、2020年に新型コロナウイルス感染症の影響により、暫定的に「最大5名まで交代が可能」になり、2022年には正式にルールに追加されました。(延長戦ではさらに1名の交代が可能です。)
【W杯】それまでの優勝国は?
前回大会の鬱憤を晴らすべく望んだ1970年メキシコ大会は、代表キャプテンとなったカルロス・アウベルトを中心に、30歳を迎えても高いパフォーマンスを維持していたペレや、毎試合得点のジャイルジーニョなどの活躍もあり、全試合勝利!で優勝を果たしたのです。
W杯優勝3回という偉大な記録を成し遂げたブラジルですが、1970年までに複数回の優勝をしていた国は他にもあります。
FIFA(国際サッカー連盟)によるW杯が初めて開催された1930年から、第二次世界大戦による二度の開催中止(1942年・1946年)を経て、1970年までに8大会が開催されました。
1954年スイス大会優勝の西ドイツ、1966年イングランド大会優勝のイングランドの他は、ブラジル/ウルグアイ/イタリアの3国によって占められていたのが分かります。
2022年10月発表の最新 FIFAランキング(国際的な格付け)では、ブラジル:1位/イタリア:6位/ウルグアイ:14位ですから、昔から強い国は今でも強いことが分かりますね。
今回のW杯グループ予選でFIFAランク24位だった日本が、7位のスペインと11位のドイツ相手にジャイアントキリング(大金星!)をしていることから、意味あるのかなとも思ってしまうけど。
とはいえ現在でも強豪国で、かつスタープレイヤーを輩出しているのがすごいです。
【W杯】1970年メキシコ大会は「ペレのための大会」
1970年メキシコ大会が行われた当時は、より多くの得点した選手には「得点王」というタイトルが授与されましたが、「大会MVP」というタイトルはまだ存在しませんでした。
ブラジルのペレ(当時30歳)は、得点こそランキング4位タイ(4得点)だったものの、毎試合で高いパフォーマンスを見せ、優勝に大きく貢献しました。
「メキシコ大会はペレのための大会」と呼ばれるようになりました。
MVPがあったら、間違いなくペレが選ばれていた!という活躍ぶりだったそう。
【W杯】ペレだけじゃない!ブラジル代表選手!
ブラジルの快挙を支えたのは、“サッカーの王様” ペレだけではありません。
特にジャイルジーニョ(当時26歳)は大会の毎試合で得点を挙げるという大活躍っぷり。
大会のグループリーグ初戦から決勝まで、6試合の合計は7得点!
これはW杯史上初の大快挙でした!!です。
【W杯】“最後の”優勝トロフィーを獲得!
1970年W杯を優勝したブラジル代表メンバーは、国民的英雄と言っても過言ではありません。
3度目の優勝を飾った功績が讃えられて、ブラジルには優勝トロフィーが永久譲渡されることになりました。
譲渡された優勝トロフィー『ジュール・リメ・カップ』は、ブラジルサッカー協会で保管されることになりますが、1983年に元職員らの犯人グループによって盗まれてしまいます。
その後、犯人グループは全員逮捕されます。
盗まれた『ジュール・リメ・カップ』も無事に戻ってくるかと思われたのですが、既に別の人物の手に渡っており、残念なことに2022年の現在も見つかっていません。
まさに “最後の授与” となってしまいました。
ブラジルサッカー協会には、その後『ジュール・リメ・カップ』のレプリカが飾ってあるそうです。
【W杯】優勝トロフィーは3種類!?
ところで皆さん、優勝国に授与されるトロフィーは3種類あったことはご存知ですか?
先ほど登場した、初代トロフィーは『ジュール・リメ・カップ』と呼ばれていますが、2代目トロフィーからは特に名前は付けられてはいません。また、初代は文字通り「カップ」型ですが、2代目からはタテ型のトロフィーのデザインになっています。
初代『ジュール・リメ・カップ』(1930年~1970年)
初代トロフィーは勝利の女神「ニケ」が10角形のカップを下から持ち上げるデザインとなっており、本体部は純銀製で、金メッキ加工が施されています。(重さは3.8kg)
1930年のW杯初開催となったウルグアイ大会から、1970年にブラジルに永久譲渡されるまで使用されてきました。
2代目デザイン(1974年~2002年)
初代の『ジュール・リメ・カップ』が、ブラジルに永久譲渡されたことで、代わりの優勝トロフィーを用意することになったFIFAは、一般公募によりデザインを募集します。
そのコンペで最優秀デザインに選ばれた作品を、イタリア人彫刻家のシルビオ・ガザニガが再デザインし、18金で作られています。(重さ:4.97kg)
マラカイト(鉱物)の装飾付きで、デザインは「2人の人物が両手を突き上げて背中合わせになり、地球を支えている」というものです。
1974年のW杯西ドイツ大会で登場し、2002年の日韓大会まで使われました。
3代目デザイン(2006年~)
3代目のトロフィーは2005年にデザインが修正されたもので、純金製です。(重さ:6.175kg)
変更点は、丸い(地球)部分に描かれた「アジア大陸と陸続きになっていた日本列島」が、「独立した島国となっている」デザインに修正された点です。
2006年のドイツ大会から登場し、2022年現在も使用されています。
【W杯】トロフィーの保管方法にも変化が!?
1966年イングランド大会での盗難事件(犬のピクルスが見つけ出し解決)や、1983年に保管していたブラジルサッカー協会からの盗難事件(犯人は逮捕・カップは未だ行方不明)などを受けて、トロフィーの保管方法も変化しました。
2002年の日韓大会までは、優勝国のサッカー協会が次回開催までの4年間、自国でトロフィーを保管していました。
2006年ドイツ大会からは、トロフィー授与式の後すぐにFIFAが回収し、代わりに優勝国のサッカー協会にブロンズ製のレプリカが贈られるようになっています。
大会の前後、優勝トロフィーはスイス・チューリッヒにあるFIFAミュージアムに保管されています。