スポンサーリンク

【サッカー・W杯】AGLET『WORLD CUP 2022 MOMENTS』‘FIRST WINNERS’【Vol.6】1930年ウルグアイ大会

やめたい雑記
筆者
筆者

皆さんこんにちは。コサキです。

W杯カタール大会は準決勝も終わり、アルゼンチン対フランスという組合わせになりました。

2022年W杯カタール大会の開催を記念したAGLETの『WORLD CUP 2022 MOMENTS』コレクションのドロップ。大会や選手などにインスパイアされたスパイクが登場しています。

これらスパイクに付けられた名前の由来や、元ネタとなった歴史的な出来事や背景などを紹介しながら、「スポーツの歴史の中で印象的な瞬間」を振り返っていきたいと思います。

第6回目は『LACELESS CLEAT ‘FIRST WINNERS’』です。


Bybit(バイビット)は4周年を迎えました。
日本語に完全対応。暗号資産の運用なら、海外取引所のBybit(バイビット)


【AGLET】LACELESS CLEAT ‘FIRST WINNERS’

TIER4
EARN RATE11
MAX BOOST RATE176
DURABLITY26
REPAIRS REMAINING0

優勝国であるウルグアイの国名と開催年を表す「URG 1930」の表記に、トロフィーのイラストが描かれています。

1930年開催のW杯ウルグアイ大会と、優勝したウルグアイ代表についてまとめています。

FIFA W杯 第1回開催「1930年 ウルグアイ大会」

開催大会1930年 ウルグアイ大会
優勝国ウルグアイ(初優勝)
主要人物・ウルグアイ代表(優勝)
・アルゼンチン代表(準優勝)
何が起きた?初のFIFA W杯で、開催国ウルグアイが初優勝を果たした。
スパイクの名前の由来「FIRST WINNERS」は「最初の勝者たち」の意味。初のW杯開催で初の勝者(優勝)となったウルグアイ代表が由来に。

FIFA(国際サッカー連盟)が開催するワールドカップ(W杯)の歴史は古く、第1回大会は南米のウルグアイで開催されました。

ウルグアイってどんな国?

ウルグアイは、正式国名を「ウルグアイ東方共和国」といい、南米のアルゼンチンとブラジルに面した南米に位置しています。

国名ウルグアイ東方共和国
面積17.6万平方キロメートル
(日本の約半分の広さ)
人口(2021年)349万人
例:静岡県の人口:363万人(2020年)
首都モンテビデオ
言語スペイン語
民族欧州系:90%
欧州系・先住民の混血:8%
アフリカ系:2%
宗教キリスト教(カトリック)
憲法上「政教分離」「信仰の自由」は保障されている。
通貨ペソ
(メキシコ、キューバ、アルゼンチン、コロンビア、ドミニカ共和国、フィリピンなどでも使用されている。)
外務省HP「ウルグアイ基礎データ」より作成

1520年にマゼラン達スペインの探検家による南米大陸の開拓の後、スペインが1726年にモンテビデオ(現在の首都)を建設し、植民地化しました。

その後、南アメリカ大陸では何度も戦争を繰り返し、1828年にウルグアイは独立します。
当時の日本は江戸時代(文政11年)です。

独立後もウルグアイは、スペイン語の使用や民族構成、宗教など、現代までスペイン植民地化の影響を残しています。

筆者
筆者

植民地時代の影響で、南米ではブラジルを除く国の公用語がスペイン語です。

スペイン語を話す人の数は世界第2位(1位は中国語、3位は英語)です。

ブラジルはポルトガルの植民地だったことで、現代でもポルトガル語が公用語です。

1930年W杯ウルグアイ大会の出場国

1930年ウルグアイ大会は、7月14日(日本時間)に開幕しました。

まずはW杯第1回大会の出場国(地域)をグループリーグごとに見ていきます。

グループ1
  • アルゼンチン🇦🇷(南米)
  • チリ 🇨🇱(南米)
  • フランス 🇫🇷(欧州)
  • メキシコ 🇲🇽(中米)
グループ2
  • ユーゴスラビア(欧州)
    現セルビア🇷🇸
  • ブラジル 🇧🇷(南米)
  • ボリビア 🇧🇴(南米)
グループ3
  • ウルグアイ 🇺🇾(南米)
  • ルーマニア 🇷🇴(欧州)
  • ペルー 🇵🇪(南米)
グループ4
  • アメリカ 🇺🇸(北米)
  • パラグアイ 🇵🇾(南米)
  • ベルギー 🇧🇪(欧州)

南米からが最も多く7カ国、ヨーロッパからの4カ国、メキシコとアメリカを加えて、出場国は全13カ国と少ないです。日本やエジプトなども出場予定でしたが、

【初のW杯開催】グループリーグでの出来事

記念すべきW杯の第1試合は、日本時間のフランス対メキシコで幕を開けました。こちらも記念すべき初ゴールを挙げたのはフランス代表のリュシアン・ローラン(当時23歳)です。

彼は、後に行われた1998年W杯フランス大会を「1930年ウルグアイ大会当時のフランス代表唯一の生き残り」として、フランスのW杯初優勝を見届けました。(2005年4月11日97歳で死去)

今大会初=W杯初となるハットトリックを記録したのは、アメリカ代表のバート・パテナウデ(当時21歳)でした。

【1930年W杯ウルグアイ大会】準決勝

出場が13カ国しかないので、現代のような決勝ラウンド戦はありません。各グループリーグ1位通過の4カ国で準決勝が行われました。

アルゼンチン 🇦🇷 6 – 1 🇺🇸 アメリカ

ウルグアイ 🇺🇾 6 – 1 ユーゴスラビア

アルゼンチンとウルグアイが大量6得点という圧倒的大差で勝利。決勝に進みます。

今大会では、準決勝の敗者同士で3位決定戦が行われることはありませんでした。

【1930年W杯ウルグアイ大会】決勝

決勝は南米同士、ウルグアイ対アルゼンチンの一戦でした。

ウルグアイ 🇺🇾 4 – 2 🇦🇷 アルゼンチン

ウルグアイは、グループリーグでの2試合を含む4戦すべてで得点・全勝という圧倒的な強さで優勝を果たしました。

筆者
筆者

なんと、4戦合計で15得点。圧倒的な攻撃力で初開催初優勝を果たします。

ちなみに準優勝のアルゼンチンは5試合で18得点でした。

優勝したウルグアイには、当時のFIFA会長だったジュール・リメより『ジュール・リメ・カップ』が授与されました。

W杯の優勝トロフィー『ジュール・リメ・カップ』は、今大会から1970年のW杯メキシコ大会まで使用されましたが、同大会で史上初の「3度目の優勝」を果たしたブラジルに永久譲渡されることになりました。

その後『ジュール・リメ・カップ』はブラジルサッカー協会が保管していましたが、1983年に盗難被害に遭い、2022年の現在まで発見されていません

『ジュール・リメ・カップ』については、以前に紹介したのでご覧ください。

【1930年W杯ウルグアイ大会】昔のW杯は得点が多かった!?

筆者
筆者

記事を書いていて「今のW杯より昔の方が得点数多くね!?」ということが気になったので、まとめてみました。

そこんところどうなのか、直近の2018年ロシア大会、2022年カタール大会の試合すべての総得点数と、1試合あたりの平均得点数を比べてみます。(決勝は得点数合計のみ)

1930年ウルグアイ大会は出場国数が13カ国と少なく、グループリーグでの試合数も少ない、決勝ラウンド16の試合もないので、2018年ロシア大会と2022年カタール大会については、グループリーグの試合での得点を割愛しました。

1930年 ウルグアイ大会2018年 ロシア大会2022年 カタール大会
グループリーグ13カ国ー全15試合
総得点数:50
平均得点数:3.3
32カ国ー全48試合
総得点数:122
平均得点数:2.5
32カ国ー全48試合
総得点数:120
平均得点数:2.5
決勝ラウンド1616カ国ー全8試合
総得点数:24
平均得点数:3
16カ国ー全8試合
総得点数:28
平均得点数:3.5
準々決勝全4試合
総得点数:11
平均得点数:2.75
全4試合
総得点数:10
平均得点数:2.5
準決勝総得点数:14
平均得点数:
総得点数:4
平均得点数:
総得点数:5
平均得点数:2.5
決勝ウルグアイ 対 アルゼンチン(4-2)
総得点数:
フランス 対 クロアチア(4-2)
総得点数:
アルゼンチン 対 フランス
(3-3)
総得点数:
合計全18試合
総得点数:70
平均得点数:3.9
全63試合
総得点数:167
平均得点数:2.65
全63試合
総得点数:169
平均得点数:2.68
Googleさんが教えてくれた当時のデータから、筆者が算出しました。

1試合あたりの平均得点数を見てみると、やっぱり昔のW杯は現代よりも得点が多い(得点力が高い)ことが分かります。

筆者
筆者

昔のサッカーは5トップ、DFが2枚とか見かけます。昔に比べて、現代サッカーはポジショニングがしっかりしていて、「得点しつつ、失点を防ぐ」という傾向があるように思います。

W杯初の得点王は…

W杯史上初の得点王となったのは、惜しくも準優勝となったアルゼンチン代表のギジェルモ・スタービレ(当時24歳)で、8得点を挙げました。

2位は、5得点を挙げた優勝国ウルグアイ代表のペドロ・セアでした。

当時は大会MVPや最優秀GKなど、得点王以外の個人タイトルはありませんでした。

最後に

いかがでしたか。W杯の記念すべき第1回大会となった、1930年ウルグアイ大会でした。
次回は、『LACELESS CLEAT ‘HONDA’』です。

タイトルとURLをコピーしました