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【サッカー・W杯】AGLET『WORLD CUP 2022 MOMENTS』‘HONDA’【Vol.7】2010年日本代表

やめたい雑記
筆者
筆者

こんにちは。コサキです。

いよいよW杯カタール大会も決勝となりました。

NHKでも放送されるそうなので、みんなで楽しみましょう!

2022年W杯カタール大会の開催を記念したAGLETの『WORLD CUP 2022 MOMENTS』コレクションのドロップ。大会や選手などにインスパイアされたスパイクが登場しています。

これらスパイクに付けられた名前の由来や、元ネタとなった歴史的な出来事や背景などを紹介しながら、「スポーツの歴史の中で印象的な瞬間」を振り返っていきたいと思います。

第7回目は『LACELESS CLEAT ‘HONDA’』です。


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【AGLET】LACELESS CLEAT ‘HONDA’

TIER5(金箱)
EARN RATE12
MAX BOOST RATE192
DURABLITY30
REPAIRS REMAINING2

日本を代表する選手の1人でもある本田圭佑の代表背番号「18」と、国名・開催年を表した「JPN 2010」の表記。

2010年W杯については、スペイン代表の初優勝にインスパイアされたスパイク『LACELESS CLEAT ‘ESP 2010‘』記事でスペイン代表の豪華すぎるメンバー、代表選手の活躍ぶりを解説しました。

今回は『LACELESS CLEAT ‘HONDA‘』ということで、「ケイスケ・ホンダ」こと本田圭佑選手と、2010年南アフリカ大会の日本代表についてまとめましたので、是非ご覧下さい。

【W杯2010年南アフリカ大会】日本代表について

開催大会2010年 南アフリカ大会
主要人物日本代表
代表監督:岡田 武史
キャプテン:長谷部 誠
日本代表最多得点:本田 圭佑
(2得点&3度のマン・オブ・ザ・マッチ)
何が起きた?日本代表は2002年の自国(日韓共同)開催以来の決勝トーナメント進出を果たした。
日本代表の大会成績ベスト16(全体9位)
スパイクの名前の由来本田圭佑の名前と背番号から。

今大会で19回目となるFIFA W杯は、南アフリカ共和国で開催されました。アフリカ大陸でW杯が開催されるのは、これが初めてです。

日本がW杯本大会に初めて出場した1998年フランス大会から、自国開催の「開催国枠」による予選免除で出場した2002年日韓大会を経て、今大会で4大会連続でのW杯出場となりました。

【W杯2010年南アフリカ大会】日本代表メンバー

今大会の日本代表メンバーを確認していきましょう。(年齢は大会当時)

ポジション(背番号)代表選手
GK(1)楢崎 正剛(34歳)/名古屋グランパス
GK(21)川島 永嗣(27歳)/川崎フロンターレ
GK(23)川口 能活(34歳)/ジュビロ磐田
DF(3)駒野 友一(28歳)/ジュビロ磐田
DF(4)田中 マルクス 闘莉王(29歳)/名古屋グランパス
DF(5)長友 佑都(23歳)/FC東京
DF(6)内田 篤人(22歳)/鹿島アントラーズ
DF(13)岩政 大樹(28歳)/鹿島アントラーズ
DF(15)今野 泰幸(27歳)/FC東京
DF(22)中澤 佑二(32歳)/横浜・Fマリノス
MF(2)阿部 勇樹(28歳)/浦和レッズ
MF(7)遠藤 保仁(30歳)/ガンバ大阪
MF(8)松井 大輔(29歳)/グルノーブル(フランス)
MF(10)中村 俊輔(31歳)/横浜・Fマリノス
MF(14)中村 憲剛(29歳)/川崎フロンターレ
MF(17)長谷部 誠(26歳)/ヴォルフスブルク(ドイツ)
MF(18)本田 圭佑(23歳)/CSKAモスクワ(ロシア)
MF(20)稲本 潤一(30歳)/川崎フロンターレ
FW(9)岡崎 慎司(24歳)/清水エスパルス
FW(11)玉田 圭司(30歳)/名古屋グランパス
FW(12)矢野 貴章(26歳)/アルビレックス新潟
FW(16)大久保 嘉人(28歳)/ヴィッセル神戸
FW(19)森本 貴幸(22歳)/カターニア(イタリア)
以上が登録メンバー23人。赤文字は海外クラブチーム。年齢は大会当時。

代表入りしたメンバーは、23人中19人が日本のクラブチームで活躍する選手です。

筆者
筆者

ちなみに、2022年カタール大会の登録メンバーは26人に拡大されています。

その26人中19人が海外のクラブチームで活躍しています。逆転してますね。

2010年南アフリカ大会の日本代表
  • GKの川口、楢崎は4大会連続の代表選出。
  • 正GKが楢崎から川島に代わる。
  • 代表キャプテンが、DF. 中澤から MF. 長谷部に変更。
  • 本大会直前にフォーメーションが4−2−3−1から4−1−4−1に変更された。

日本代表の大会成績

日本代表は、自国開催となった2002年日韓大会以来のベスト16進出を果たします。グループリーグからの日本代表の大会成績を振り返っていきます。

【日本代表】グループリーグ

大会直前のFIFAランキングで45位の日本は、いずれもランキングで格上のオランダ(4位)、デンマーク(36位)、カメルーン(19位)と同組になりました。

グループリーグ『カメルーン戦』6月14日

日本代表のグループリーグ初戦は、アフリカのカメルーンとの対戦です。

当時のカメルーン代表には、イタリアの強豪クラブであるインテル・ミラノに所属するサミュエル・エトーも出場していました。過去、バルセロナ在籍時にはチャンピオンズリーグ(ヨーロッパのクラブ大会)制覇も経験している、カメルーンの伝説的プレイヤーです。

日本は1-0というスコアで、前半の本田の得点をそのまま守り抜き勝利します。

日本 🇯🇵 対 カメルーン 🇨🇲スコア:1-0
得点者(大会通算得点数)39分:本田 圭佑(1)

得点を決めた本田は、この試合のマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれます。

筆者
筆者

エトーはバルセロナ時代に「出場23分間でハットトリック達成」したこともあるくらい、めちゃめちゃ得点力の高い選手です。彼を無得点で抑えたことだけでも評価できると思います。

グループリーグ『オランダ戦』6月19日

グループリーグ2戦目は、ファン・ペルシ(アーセナル)やディルク・カイト(リヴァプール)、ファン・デル・ファールト(レアル・マドリード)、ファン・ボメル(バイエルン・ミュンヘン)など、世界のトップクラブに所属する選手も多い、優勝候補の一角オランダと対戦しました。

日本はスコア 0-1 で敗れはするも、善戦したと言える試合でした。

日本 🇯🇵 対 オランダ 🇳🇱スコア:0-1
得点者(大会通算得点数)なし

オランダはこのあとグループを1位通過。その後の決勝ラウンド16も勝ち進み、準々決勝でブラジル(2−1)、準決勝ではウルグアイ(3−2)を下して決勝へ進むことになるのです。

決勝ではスペインに0−1で惜敗したものの、準優勝という成績を残して大会を終えています。

筆者
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得点には至りませんでしたが、惜しいシーンもありました。

オランダは、これまでのW杯で1974年に準優勝、1978年にも準優勝という成績を残しています。

この試合で得点を決め、マン・オブ・ザ・マッチにも選ばれたオランダのヴェスレイ・スナイデル(インテル・ミラノ)は、今大会を通して5得点(1位タイ)を挙げるなどの活躍を見せ、アディダス・シルバーボール(大会MVP選考の第2位)とアディダス・ブロンズブーツ(得点第3位)の個人タイトルを受賞しています。

グループリーグ『デンマーク戦』6月24日

第3戦はデンマークと対戦。スターティングメンバーはグループリーグ3戦ともに同じメンバーとなりました。

この試合で、本田は2度目となるマン・オブ・ザ・マッチに選ばれています。

日本 🇯🇵 対 デンマーク 🇩🇰スコア:3-1
得点者(大会通算得点数)17分:本田 圭佑(2)
31分:遠藤 保仁(1)
87分:岡崎 慎司(1)

特に目立った選手は多くありませんが、クリスティアン・ポウルセン(ユヴェントス)やダニエル・アッゲル(リヴァプール)など、トップクラブに所属する選手もおり、楽に勝たせてくれる相手ではありません。(そもそも日本の方が格下でした。)

【日本代表】決勝ラウンド16進出『パラグアイ戦』6月29日

決勝ラウンドの初戦では、南米パラグアイと対戦します。

試合は0−0のまま前後半、延長戦ともに終了し、PK戦となります。

日本は3人目の駒野のPKがクロスバー直撃でPK失敗。
次のキッカーだった本田は難なく決めますが、パラグアイは5人全員がPKを決めて、日本の敗退が決まりました。

日本 🇯🇵 対 パラグアイ 🇵🇾スコア:0-0(PK 3-5)
得点者(大会通算得点数)なし

PK戦の末に日本に勝利したパラグアイは、準々決勝で(のちに優勝することとなる)スペインと対戦し0−1で敗退しますが、パラグアイにとっては初めてのベスト8という成績を残して大会を終えることになりました。

実はパラグアイの代表選手にはエドガル・バレートなど、アテネオリンピックでは銀メダルを獲得した選手もいる。

この試合で本田はノーゴールだったものの、3度目となるマン・オブ・ザ・マッチに選ばれています。

本田 圭佑という人

惜しくもベスト16で敗退してしまった日本代表でしたが、代表選手の中で今大会のMVPは間違いなく本田 圭佑です。4戦全てにスタメンで出場し、2得点の活躍。

PK戦での決着となったパラグアイ戦でも、前後半〜延長戦前後半までフルで出場し続けた上にPKも決めています。

筆者
筆者

今大会の直前からは1トップ起用となって、運動量も半端なかったと思います。

そんな本田 圭佑の2010年W杯出場までのキャリアを見ていきましょう。

2010年W杯前の本田のキャリア

本田 圭佑(1986年6月13日〜)は、大阪府摂津市生まれです。

小学生からサッカーを始めた彼は、石川県の星稜高校へ進学します。
3年時にはキャプテンとして全国高校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢初のベスト4進出に貢献しました。

高校卒業後は名古屋グランパスエイトとプロ契約し、2年目からはレギュラーに定着します。
Jリーグでの3年間を経験する中で、本田の目は海外へと向いていました。

筆者
筆者

小学生の時の卒業文集に「ACミランでプレーする」って書いていたぐらいです。

2008年に、オランダ1部のVVVフェンローへ初の海外クラブ移籍。南アフリカ大会のあった2010年には、日本人として初めてロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワに移籍します。

本田はCSKAモスクワでもレギュラーに定着し、日本人初・クラブ史上初・ロシアリーグ所属クラブ初のCLベスト8進出に貢献します。

2010年W杯後の本田

2010年W杯で2得点・3度のマン・オブ・ザ・マッチという活躍を果たした本田は、2013年にCSKAモスクワから、イタリア・セリエAのACミランへと移籍します。これが彼のキャリアハイになりました。

本田は現在も現役選手としてプレーしています。これまでに10クラブを渡り歩き、事業家としても活動しています。サッカー選手の枠を大きく超えたインフルエンサーとしても動向が注目されています。

筆者
筆者

2022年カタール大会では、Abema TVで解説も担当していましたね。

【W杯】日本代表としての「ケイスケ・ホンダ」

日本代表としては、2010年南アフリカ大会のほか、2014年W杯ブラジル大会、2018年W杯ロシア大会に3大会連続で選出されています。

2010年南アフリカ大会
  • 出場試合数:4試合(ベスト16)
    全てにスタメン出場。
  • 得点:2
    グループリーグ『カメルーン戦』
    グループリーグ『デンマーク戦』
  • マン・オブ・ザ・マッチ:3回
    グループリーグ『カメルーン戦』
    グループリーグ『デンマーク戦』
    決勝ラウンド16『パラグアイ戦』
2014年ブラジル大会
  • 出場試合数:3試合(グループリーグ敗退)
    全てにスタメン出場。
  • 得点:1
    グループリーグ『コートジボワール戦』
  • マン・オブ・ザ・マッチ:1回
    グループリーグ『ギリシャ戦』
2018年ロシア大会
  • 出場試合数:3試合(ベスト16)
    グループリーグ『コロンビア戦』(70分〜)
    グループリーグ『セネガル戦』(72分〜)
    決勝ラウンド16『ベルギー戦』(81分〜)
  • 得点:1
    グループリーグ『セネガル戦』
  • アシスト:1
    グループリーグ『コロンビア戦』(73分、CK)
筆者
筆者

W杯3大会連続得点は日本人初の記録です。

AGLETの今回の『WORLD CUP 2022 MOMENTS』でも、選手名が付いたスパイクはブラジルのレジェンド「カルロス・アウベルト」と「本田 圭佑」だけです。

最後に

今回は、元日本代表・本田 圭佑についてと、彼が活躍した2010年W杯南アフリカ大会の日本代表についてまとめました。

次回は『LACELESS CLEAT ‘DOS A CERO’』、2002年W杯日韓大会でのアメリカ代表についてです。ぜひお楽しみに。

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